80歳が人生後半のピーク説
働き盛りと言われる仕事のピークが30代半ば以降から40代と言われるのが人生前半のピークなら、後半のピークは80歳だと思っている。まもなく50代に突入する私である。そう思ったきっかけは、生け花の習い事で、私の師匠の師匠に当たる大先生が「今80歳で台湾での個展を開催している」というお話を聞いたことだった。これまでも、ふと他のクラスの教室を廊下から覗いてみると、先生方がいずれも私よりご年配の、おそらく60代から70代ぐらいの方ばかりだったことを思い出す。私の師匠もおそらくそのぐらいのご年齢で、記憶をさかのぼれば先生は過去にも「花の世界で80代は当たり前よ」とおっしゃっていた。
早速、算命学に照らし合わせて考えてみる。陰陽論をベースにする算命学では人生にも陰と陽があり、還暦を迎える60歳が全ての干支年を経験した陰であれば、そこから先に再び還暦を迎える120歳までの人生が陽。完璧に宿命通りに生きれば人には120歳の人生が授けられていると考えられている。実際には「完璧に」宿命のまま生きることが難しく、もう少し短いのだろう。それでも世界最高齢のギネス記録が117歳であること、120歳以上を生きた人の記録はないことなどからも、算命学の理論と現実が驚くほど一致する。宿命において120歳が寿命だと考えれば、80歳はまだまだ若い。
ただ、そう考えるには条件がある。それは120歳の宿命を陰陽で60年ずつ分けたうち、「後半の60年においては若い」という意味だ。算命学では現実・肉体を「陰」、精神を「陽」と考える。後半の「陽」の人生がスタートして、精神がようやく整い始める成人の年が80歳。前半の干支が回りきる60歳を迎える頃には、肉体こそ老化はしたかもしれない。しかし気が生まれ変わり、陽の世界の主役、精神主体の人生が始まることを考えれば、理論上80歳はまだまだなのである。
日本社会では一般的に、60歳=定年(仕事の区切り)という価値観が社会を、とりわけ企業に勤める大勢の人の心を覆っている。しかしそれって、「会社の時間軸」なだけだ。私が会社員という立場から離れて久しいからか、余計にそう感じてしまうのかもしれない。制度の切り替えや慣習として、節目を迎える人が多いのはわかるけれど、それってそもそも自分の、生身の、時間軸ではない。自分のタイムラインで生きることと真剣に向き合えば、60歳以降の人生もこれまでも変わらず絶対的に尊いはずなのだ。算命学においても、陰陽それぞれの人生に優劣はない。
一方で、60歳からは前半の肉体メインの時代とは全く質の違う「精神主体」の人生だということも意識しておいたほうがいいと思う。オリンピックである年からルールが突然変わることがように、60歳で陰陽が入れ替わり、精神主体の人生後半に入ったら生き方もしなやかに変えていく必要がある。肉体から精神へ、肉体を鍛えることで精神も鍛えてきたのが前半だったとすれば、後半は精神を鍛えることで、肉体も整える。繰り返すようだけれど、肉体と精神という陰陽論の世界には、良し悪しも上下関係もない。肉体が成熟した還暦を迎えたのち、後半人生で精神の完成を見て生涯を全うする。それが算命学が考える、理想の人生なのだと思う。
こうした思考に行き着いたのには算命学以外に、自分が生まれ育った環境も大きいのかもしれない。私の家族も親戚も全員生涯の現役選手だからだ。現在親族で最高齢の現役は、まもなく91歳を迎える伯父。毎日の出社を日課とし、今も3階の自分の仕事部屋まで階段で上りきることを自らに課しながら、明るく元気に働いている。続く88歳の伯父も毎日働く現役の医師。少し前に92歳で他界した伯父も、90歳まで自分のクリニックで忙しく働き続けた。彼らを見ていると、「年齢なんてただの数字(by 美輪明宏さん)」と心から思える。
還暦を迎える頃には宿命も陰(肉体)から陽(精神)主体に切り替わることだけ留意して生きれば、きっとそれからも今まで通り楽しい人生が待っていますよ!と、年齢を素敵に重ねる同世代の皆様にお伝えしたくて、この原稿を書きました。
少しでもお役に立てば幸いです。
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