天気予報を見るように、運気を事前に知っておく
女優 中谷美紀さんの『インド旅行記1〜4』の中に、運命的な言葉との出会いがあった。ヒンズー教、イスラム教、シーク教、キリスト教など多様な信仰が混在し、宗教をもつことが当たり前とされるインドを旅し続けた無宗教の中谷さん。そんな中谷さんは宗教に関係なく、自分が今生かされている自然の法則がもしあるのだとすれば、それを知りたいのだと著書に書かれていた。
私が算命学を学んだ一番の理由も、正にそれだった。算命学は宗教では、ない。紀元前から私たちの暮らしに脈々と受け継がれてきた東洋の自然思想を源流に、先人たちがつぶさに自然現象を観察し、人が生きていく上で影響を受け続ける法則を理論化し、数値化して解明した学問である。
私も中谷さん同様、特定の宗教や文化や個人の教えを超えた人間共通の普遍的なルールがあるのであれば、それを知りたかった。幼少期から東西の思想に深く触れる環境で育ち、大人になってからは中谷さんが旅したインドや現在暮らされているオーストリアをはじめ、アジアや欧米各国を旅しながら多様な文化を見聞した時を経て、そのルールはどうやら私たちが生きる自然の姿の中にヒントがあるようだと考えが行き着いた。それを教えてくれる学問こそが、算命学だったわけだ。
陰陽論を基本に、「見える世界」と「見えない世界」を対等に扱う算命学の世界は草木とお天気に例えるとわかりやすい。風雪に耐え、酷暑を凌ぎ、懸命に生きる草木たちは、気候という自然の法則に大きく左右されながら命を支えている。太陽の光を浴びて大きな果実を実らせる時もあれば、どんなに健気に生きていても時には理不尽な嵐に見舞われて壊滅し、淘汰されてしまうこともある。
それは見えない世界でも、人間も、同じである。算命学ではそう考えている。
私たちは普段から当たり前のように気候のことを、「天気」と呼ぶ。天に流れている気。その気を快晴や雨、曇りなど目に見える現象から読み取り、適切な対処を取る。寒い日にはコートを着たり、雨の日には傘を差したりする。
運勢を読むことは、見えない世界の天気を知るようなものだ。大雨の日に傘無しで出かけてずぶ濡れになることがないように。大事な門出の日にできるだけ快晴の日を選び、最高のスタートが切れるように。私たちは昔から暦を読み、運の流れを気にしながら暮らしているのだろう。
算命学ではさらに、始まりの日の気は「第一印象」として、ずっと引き継がれていくとも考えられている。だからこそ、できるなら大事なことは始める前にあらかじめ運気を知っておくべきだと推奨されているのだ。
人がどのような宿命的な性情をもって生かされているかもまた、草木と大地との関係に置き換えて考えるとわかりやすい。太陽の光と恵みの雨、温暖な気候に恵まれた野原で、春になれば大輪の花を咲かせるバラがある。その一方で、アスファルトの割れ目に目を向ければ、ほんの少しの隙間から精魂たくましく咲く可憐なタンポポの姿もある。懸命に生きる姿は、どちらも等しく美しい。
人がどんな気候の、どんな土壌に生まれ、どのように生きると伸びていき、その人らしい綺麗な花を咲かせられるのか。算命学では与えられた宿命を見ることによって、置かれた運勢の土壌、宿命の景色を知ることができる。そして植物がたとえどんな場所であろうと与えられた環境を受け入れ、健気に美しく花を咲かせるように、人もまた先天的に与えられた宿命という土壌を知り、運を切り開いていく。自分の生かし方がわかったら、今度は後天的により合う環境を求めて、自分の力で活躍の場を選んでいけばいい。
人が生かされているルールは、見える世界に起きている現象の中にあるだけではなく、見えない世界にもまた同様に繰り広げられている。ルールの中で生きるには、まず自分自身の種と自分の置かれた環境を知ることが大切である。
実際にお目にかかった方には一人一人の宿命と置かれた環境を見ることを通して、その人らしい花を最高に美しく咲かせるためのアドバイスをしています。