歳位

朱学院(日本最古の算命学学校)より、「歳位」のお免状をいただきました。「歳位」と聞いても何のことだか、きっと?ですよね(笑)。
「歳位」とは算命学の奥義を習得し、会得するに達した人に授与される称号を指します。取得に際しては最低でも約4年間にわたる全研究過程を修了することが必須で、途中で飛び級はありません。修了後、年に1回だけ実施されるプロ鑑定士試験を受験し、合格した人にだけ与えられるのがこちらの免状になります。この取得を以って学校認定のプロ鑑定士となり、晴れて算命学専門家としてのスタート地点に立つことができました。
何事も最速で始めることや、時短で物事を成し遂げることが正義のように叫ばれる昨今、「歳位」の取得はまるで時代のトレンドと逆行するような道のりでした。
歳位を目指す学習者には、何より約4年間という長い習得期間がのしかかります。生き馬の目を抜くように時代の潮流がハイスピードで流れゆく昨今、迅速に行動して新たなスタートを切っていく素敵な友人たちの姿を、これまで何度も見送ってきました。「もっと手っ取り早く習得できないものだろうか」という考えが、頭をかすめたことも正直あります。さらにプロ鑑定士試験の合格率は毎年半数以下だと聞き、本当にこのまま勉強を続けていて意味があるのだろうかと不安に襲われたこともありました。
しかし今ではかけた時間の意味がよくわかります。じっくりと土台を固め、何があっても崩れない山となることの大切さを。
算命学が伝える宿命のひとつに、「脚下崩壊(きゃっかほうかい)」と呼ばれる宿命があります。脚下とは山を支える脚元のことをを意味し、その宿命は山麓が水浸しで土台が脆弱となった泥山の景色です。いつ崩れてもおかしくはない自然の風景から読み解く宿命です。
見栄えや肩書きなどの表面的な事柄や手早さだけを追い求めた試みは、あっという間に脚下崩壊を起こし、いずれ跡形も無くなっていきます。それが算命学が伝える自然の理(ことわり)です。紀元前の時代から、その教えは何ら変わっていません。
私は研究の傍らで生け花を習い、現在も花の稽古を続けています。東洋の自然思想を共に源流にもつ華道の世界でもそれは、驚くほど同じ考え方でした。算命学の先生同様、華道家の師匠もよくおっしゃるのは「細々とでも良いから時間をかけて、稽古を長く続けること」。「講義を通じて”頭”で理解するのではなく、見て、真似て、骨身に浸み込ませていくこと」。生け花の世界でも「最速で」「今すぐに」「時短で」の概念は皆無でした。時代のニーズとしてもはや当たり前となっている「すぐに使える知識」など、この世界でもまた全く追い求めてはいなかったのです。
私は算命学の世界もまた華道と同じ、「道(みち)」なのだと思いました。短期間で知識を詰め込むことは比較的簡単です。しかし生け花が知識だけですぐに上達し得ないように、算命学もまた会得に大変時間を要する思想の理解のないまま技法を暗記するだけでは、生涯に耐え得る有意義な実践をもたらすことはできないのです。
人が何かを会得する時には、時間が質を生み出します。長い時間の中で日々気づきを得、堅固な地層を積み重ねていくこと。絶対に脚下崩壊を起こさない土台作りこそが大切なのだと、それぞれの学びを通じて気づかされました。
とはいえ、まだまだ土台ができたばかりの身の上です。これからも精進を重ねながら、算命学の世界を皆様にお伝えし、世の中のお役に立つことができればと切に願っております。

(写真上 4年間の研究過程で綴り続けたノート。算命学の技法の多くは秘伝で、口承により受け継がれています。というわけで、今の時代に逆行するようですが、記録は全て手書きです)